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怪我をしてしまった。右足の膝小僧が真っ赤だった。そんなにひどいものではないが、傷口は地面の泥が入り、血がどくどくと流れていた。見た目がかなりグロいが不思議と痛みがない。ただ血が大袈裟に流れて太股を伝う。 「あーあ、失敗しちまったなあ。」 イルカはため息をついた。今日、アカデミーで大技を習った。うまくできなくて悔しくて。アカデミーが終わって演習場で一人練習して、時間を忘れて没頭していたらこれだ。しかも今は夜中だから演習場に人影はない。血をだらだら流しながら家に帰るのか、人目に付かないだけましなのか、しかし救急キットを持ってこなかったのは自分が悪い。今日は両親共に里の外に任務に出ていた。2週間は帰ってこない。だからってやけになっていたわけではない。それはいつものことだったし慣れていた。家に両親がいなくて自分一人になることはよくあることだった。ま、昔は寂しいと思うこともあったが、今は別にどうってことない。 「忍者は孤独な生き物なんだぜ。」 イルカはどこかで聞いたことのある台詞を口に出した。ふふん、結構決まっているじゃないか。まだアカデミー生だけどいずれは忍者になる。どんなことがあったって慌てず沈着冷静に対処できる。 そう思っていたが、突然目の前に黒い影が落ち自分に覆い被さってきた時、イルカは自分がたった今頭の中で考えていた自分像と180℃違う行動を起こしていた。 「ぎゃあーーーーーーっ!!」 くの一だってこんな声ださないんじゃないかと思う程の絶叫を演習場一杯に響かせた。あまりの唐突な出来事に頭はパニックだった。 が、いつまで経ってもその状況から何も変わらないことが段々と解ってくると、イルカはやっと状況を見渡せる余裕がでてきた。 見ると自分に覆い被さってきたのは自分くらいの少年で、少年は一生懸命、自分の膝小僧から流れている血を舐めていた。 ぎょっとして足をばたつかせた。 「ばかやめろよっ、汚いだろっ。」 言うと少年は顔をばっと上げて自分から一歩下がった。 今までずっと舐められていたのかと思うと何とも言えない気持ちが沸き上がって、抱えた両足に顔を俯けてそのまま体育座りを決め込んでしまう。 「あの、ごめん、俺、汚いよね、」 「は?」 上から降ってきた言葉に何を言うのかとイルカは顔を上げて相手を見た。目の前で立ちつくしている少年は、微かに笑っていたが、泣きそうな顔をしていた。まるで俺がいじめてるみたいじゃないか、なんでそんな顔するかなあ、大体言ってることもなんかおかしいし。 その行動から、あんまり関わり合いにならない方がいいのかなあ、と漠然と思っていたのだが、泣きそうな顔があんまりにも切なげで、元から人の良いイルカは慌てて否定の言葉を紡いだ。 「あー、お前じゃなくてさ、傷、泥が入ってたし、だから舐めるのは勘弁な。」 言うと少年はぱっと顔を明るくした。現金な奴だな。 よくよく見れば少年はあまり見たことのない恰好をしていた。黒い恰好だとは思っていたが、体にぴったりとした黒い服の上に白い防弾チョッキのような胸当てをつけている。極めつけは背中に細長い刀のようなもの。 どこかで見たことあるような...と頭の中で思い出そうとしていたイルカだったが、少年が手に持っていたお面を見つけてやっと思い出した。 「わかった、お前のその恰好、暗部だろ。なんだよその恰好でアカデミーのみんなを驚かそうっての?お前見かけによらず結構やるねぇ。」 イルカはクツクツと笑った。元からイタズラ好きであったイルカは少年がこんな夜中に演習場にいる理由もなんとなく分かってきた。 「お前、ここで驚かそうと思って来たわけ?残念だけど、アカデミー生や下忍クラスが夜中に演習場を使うのは俺くらいなもんだよ。それに暗部の恰好はちょっとイタズラにしてはやばいと思うぞ。なんたって暗部だからな。父ちゃんに聞いたことあるんだ、暗部は顔も名前も秘密で見たら記憶操作されるんだってさ。そんな奴らの恰好してたら火影様の雷は確実に飛ぶって。」 あはは、とイルカは笑ったが、少年はそれを聞くとずーんと一層暗くなった。あ、あれ、そんなに落ち込まなくてもいいのに、結構ナイーブな性格してんだな、こんな思い切ったことしてんのに。 「落ち込むなって、俺が一番最初のターゲットだったんだろ?俺、他の奴に言ったりしないからさ。そうだ、お前名前なんて言うの?俺はイルカ、うみのイルカ。」 だが少年は口を開こうとしない。さっきは話してたよなあ、喋れないはずはないだろうに、今更人見知りでしたなんて言ったって信じないぞ。 「おい、お前失礼だぞ、名前は名乗ったんだからちゃんと名乗れよ。これは礼儀に反するぜ。礼節は礼節でもって返せって習わなかったか?」 ちょっとむくれて言うと、目の前の少年はぷっと笑った。そして段々と声を大きくして、終いには腹を抱えて笑い出した。ここは笑う所なのか?こいつの感覚、ちょっと変わってんなあ。でも、さっきの暗い顔よりはよっぽど見ていて気持ちいいし、似合っていた。ちゃんと笑えるんじゃん。 少年はひとしきり笑った後、しゃがみ込んでイルカの視線と同じ場所になった。 「俺はカカシ、はたけカカシっていうんだ。」 「カカシか、よろしくな。」 イルカはカカシに向かって手を伸ばした。カカシは首を傾げている。 「なんだよ、握手だよ、知らないのか?」 「いや、知ってるけど。」 カカシは先ほどまでとはいかないが、やはり少し影を落とした顔をした。だが、手を引っ込めようとしないイルカに根負けしてイルカの手を取って握った。 「あー、それでイルカ。このことは誰にも言わないでね。ほんとに約束だから、ね。」 すぐに手を放してしまったカカシは真剣な目をしていた。用心深い奴だな、そんなに火影様の雷が怖いのか。だったら最初から暗部の恰好なんかしなけりゃいいのに。 「仕方ない奴だなあ、黙っていてやるよ。ただしその代わり、」 イルカはにやっと笑ってカカシを見やった。カカシは怪訝そうな顔をしている。少しばかり緊張した空気が流れた。 「救急キット持ってない?実は家に忘れてきちゃって、だから怪我を放置してたんだ。」 イルカはてへへ、と笑って自分の鼻の傷をぽりぽりとかいた。カカシはぽかーんとしていたが、慌てて自分の荷物の中から救急キットを取りだした。そして手当しようとイルカの膝に触った。 「あ、そう言えばさっきはなんで傷舐めたんだ?」 イルカの膝に触れていたカカシはびくっと手を震わせた。イルカはそれを見てなんだか聞いてはいけなかったことだったのかな、と慌てた。誰にだって言いたくないことはあるだろう。まあ、いい趣味とは言えないが...。 「まあいいよ。ところでカカシは家の人に怒られないのか?結構な夜中だぞ。」 もう深夜を過ぎている。両親共に里にいないからこうやって夜中に一人で修行をしているイルカだが、一般家庭だったらまず家から出してはもらえないだろう。 「家族はいない、一人暮らしだから。」 「そっか、」 ごく最近まで戦があった。イルカのクラスメイトの何人かも親を亡くした者がいる。両親共に忍者で生存しているイルカの家庭は恵まれているのかもしれない。その代わり両親は任務のためにほとんど里にはいないのだが。 カカシの親も戦で死んだのだろうか。英雄となって碑文に名を列ねているのだろうか。 カカシの手当は素早く、的確で、すぐに処置が終わってしまった。その手際の良さはアカデミーの先生よりも上のような気がした。もしや忍なのか?アカデミーでは見かけない顔だし。手当をするその手つきは、何度も手当をする機会があり、経験していって要領を得た、そんな感じのそれだった。自分と同じような年なのに、自分とは随分と違う。少なくとも、一人で修行して怪我をしたのに救急キットですら自分の怠惰で持ってこなくて処置ができていなかった自分とは雲泥に違う。 そう思ったらなんだかちょっと悔しかった。自分はてんで甘ちゃんで世間知らずみたいな気分だった。しかし、それでもイルカは唯一、絶対にカカシよりも一つだけ勝る所があると自負していた。 カカシは救急キットの道具をしまっていく。その後ろ姿を横目で見ながらイルカは立ち上がった。傷の痛みはほとんどない。 「カカシ、手当してくれた礼だ、飯食ってけよ。」 カカシは荷物にしまい込もうとしていたキットを手から落とした。 「え?」 「なんだよ、一人暮らしなんだろ、飯だってこれから食うんだろ?」 まあ、そうだけど、とカカシは訝しげにイルカを見ながら答えた。 「じゃあ俺ん家に来いよ。両親は今任務で里外にいるからしばらく俺も一人暮らしみたいなもんだ。だから遠慮するなって。」 イルカはカカシの手を無理矢理つかむとさっさと歩き出した。カカシは荷物を慌ててつかんでイルカの後に続く。 「ち、ちょっと、俺はまだ行くとは、」 「何けちくさいこと言ってんだよ。それとも俺の飯が食えないってのか?」 カカシを振り返って脅すように言うイルカにカカシは降参です、とため息を吐いた。素直でよろしい、とイルカは笑って自分の家へと向かった。 イルカの家は小さな一戸建ての家だった。新しくはないが古すぎることもない。小さな庭もあり、縁側などは昼寝などに最適だと思わせた。 イルカは家に上がるとカカシをひっぱって居間へと連れて行く。そしてちゃぶ台の前に座らせると自分はさっさと台所へと向かった。 そして冷蔵庫の中を物色して材料をつかむと包丁を取り出した。ここからが勝負の見せ所だぜ、とイルカはにやりと笑った。 |